宮崎県ボディビル・フィットネス連盟

宮崎県ボディビル・フィットネス連盟(当時宮崎県ボディビル協会)は、1969年4月(昭和44年)に設立しました。

 

1955年(昭和30年)に設立された公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟(当時日本ボディビル協会)の下部組織になります。

 

宮崎県ボディビル・フィットネス連盟の活動の方向性を大別いたしますと、次のようになります。

  1. 生涯スポーツとしてすべての人の体づくりや健康づくりのお手伝いをすることです。
  2. ウェイトトレーニングで鍛え上げた体で、極限に挑む競技スポーツとしてのボディビル選手権の開催と活動です。女子日本選手権で都城市出身の水間詠子選手が、6回目(2003年)の優勝を成し遂げましたことは宮崎県ボディビル・フィットネス連盟の誇りであります。
  3. ボディビル以外の様々な競技スポーツ種目の選手が、競技力の向上・怪我防止のための筋力トレーニング指導です。 

このようにいろいろな方面でボディビルダーによる筋力トレーニングの指導が行われ実績を上げています。

 

ボディビル選手権の開催は、ボディビルダー自身の理論と実践による筋力トレーニングの向上を図り、自らが行った経験と知識に確信を持ち筋力トレーニングの指導にあたることで競技スポーツ選手の成績にもつながるでしょう。

 

そのために、ボディビル選手権大会を開催することは、大変意義があり発展させていくことが我々の務めだと思っています。

 

このように、ある人は成長期の体づくりや中高年者の成人病予防のために、ある人はボディビルダーとしてトップを目指し、ある人は競技スポーツ選手として筋力強化のために汗をかくというように多様性に満ちたものです。

 

宮崎県ボディビル・フィットネス連盟が、それらの人々に共通して尊重してほしいこと。

  1. 科学性のある合理的なトレーニングをすること。
  2. ウェイトトレーニングを通して楽しく仲間づくりを促進すること。
  3. ウェイトトレーニングで健やかになった体を自分ひとりのものにしないで社会のために生かすこと。

ウェイトトレーニングによって体も心も健やかで逞しくさわやかな人が多くなり、その輪が宮崎県に広がることを宮崎県ボディビル・フィットネス連盟は念願とするものであります。

沿革

年月 沿革
1969年4月(昭和44年) 「宮崎県ボディビル協会」として設立
 1970年7月5日(昭和45年)

 「第1回ミスター宮崎ボディビルコンテスト」青島海水浴場で開催

1982年(昭和57年)

「宮崎県ボディビル連盟」に改名

 1989年7月16日(平成元年)

「 第17回ミスターアポロコンテスト(現ジャパンオープン)」

「第7回全日本ミックスドペアコンテスト」宮崎市民会館で開催

1991年7月28日(平成3年)

「九州ボディビル選手権」

ゲストにレネル・ジャンビェールさんを招きMRTミック・ダイヤモンドホールで開催

1992年(平成4年)

大会名「ボディビルコンテスト」から「ボディビル選手権」に変更

1994年(平成6年)

「第25回宮崎県選手権」クラブ対抗チームによりパフォーマンスポージング実施

これを機会に大会に参加するようになった選手もいる

1996年(平成8年)

「第27回宮崎県選手権」ゲスト水間詠子さん出身地都城市で開催

1997年(平成9年)

「第28回宮崎県選手権」から宮崎県・宮崎県教育委員会・財団法人宮崎県体育協会後援を頂く

宮崎県知事杯と賞状を賜る

1999年(平成11年)

「九州・沖縄ボディビル選手権」西都市民会館で開催

2007年(平成19年)

「九州・沖縄ボディビル選手権」都城市で開催

2013年4月1日(平成25年)

「宮崎県ボディビル・フィットネス連盟」に改名

2014年(平成26年)

「第1回南九州ボディビル選手権」開催

「第1回南九州マスターズボディビル選手権」開催

「第1回オープン男子宮崎県ボディビル大会」開催

「第1回オープン宮崎県メンズフィジーク・宮崎県フットネスビキニ大会」開催

2015年(平成27年)

「第2回南九州ボディビル選手権」開催

「第2回南九州マスターズボディビル選手権」開催

「第2回オープン男子宮崎県ボディビル大会」開催

「第2回オープン宮崎県メンズフィジーク・宮崎県フットネスビキニ大会」開催